祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真14 (1943年)

今日は7月14日、いわゆるパリ祭の日。
今年2018年は土曜なので、祝日感が少ない。
朝早くから目が覚め、Tabbieと散歩にルーブル近くに行った。
シャンゼリゼからコンコルドまで行進があるので、すでに道路は封鎖してあるし警備も厳重。
もちろんTabbieは気にしないが・・・。
どんどん気温が上がり、猛烈に暑い日。

さて、祖父の写真シリーズの最後。
今頃、祖父がドイツで買ったカメラの名前間違えてたことに気がついて、修正した。
祖父が1938年にベルリンに到着し、真っ先に買ったカメラは「コンタックス」(ツァイス・イコン)。
1936年に発売されたContax II。


昭和17年の写真は一枚も無い。
戦争の影響が強く、届けることができなかったんだろう。


だが、昭和18年の写真があり、これが最後に日本に届いたものらしい。

この年はヨーロッパの戦況が悪化し、イタリアが敗戦に敗戦を続け(っていうか、イタリアってこの戦い全く勝ってないような;)、この夏にはムッソリーニは失脚し投獄されている。
秋にはヒトラーはムッソリーニを救出している。

また、ベルリンへの空襲も次第にひどくなってきたらしい。



1943berlin1943年7月、事務所での写真。
一緒に写っているのは宮崎君、とある。




1943germany1943年10月。
「ベルリンの爆集をさけてポツダム近郊に疎開された大谷少将の小邸を訪問した節の記念撮影」、の写真。
一番右から祖父、タイピストのフンガー、大谷少将、中村主計中佐、運転手バウムガルテン。

これが日本に無事着いて、祖父の元に残った最後の写真となる。

さて、戦争当時祖父はドイツに行っていたがために、日本とは違った状況の中で暮らすこととなった。
戦争のせいで帰ってくることもできなかった。
それでも無事に生還できたのは非常に幸運だったと思う。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真13 (1941年)

昨日の夜は、皆サッカーで大騒ぎ。
ニュース見なくてもフランスが勝ったことがわかる。
タビィとの散歩は、試合中にそそくさと済ませた。
でないと終わった途端、町に繰り出す人たちですごい状態になるからだ。
TVのニュースで見ても、ほとんど優勝したかのような騒ぎ。
でも、フランスのサッカーチーム、しばらく成績良くなかったから、うれしいだろう。



祖父の写真。
年が明けて昭和16年(1941年)。
真珠湾攻撃がこの年の12月なので、まだ日本としては戦争前。


1941berlin1941年3月26日、松岡洋右(まつおかようすけ)外相がベルリンに到着。
ヒトラーと会見。



1941berlin2外交なんてものは、今も昔も友好ムードできらびやかなものだ。
これは総統官邸なのかな?それとも違う省庁の建物か。


1941potsdam1941年5月19日にポツダム。
この日は月曜日だが、キリスト教の祝祭日、聖霊降臨祭が日曜日で、その翌日の月曜日はフランスもドイツも含め多くのヨーロッパの国の祝日になっているので、その日だったと思われる。
休みでドライブに行ったんだろう。
後方の風車は今も残る、サンスーシ西側にある歴史的な逸話を持つ風車。
当時ももちろん有名だったようで、そう記されている。



1941germany1941年5月25日、この日は日曜日なので、下宿先のKimmich氏とドライブで行ったのだろう。
「ウェルダ」にて。この辺りは桜の名所として有名、とあるが、どこなのか分からない。
当時、ベルリン周辺ではどこに桜があったのだろうか。
後ろに写っているのはKimmich氏だと思われる。



1941germany2次の写真は、1941年5月12日。ハノーバーにて某工場の祝宴、とある。
某工場とは何かは不明だが、燃料関係かも。
ハノーバーは鉄道や道路の要所であり、また石油工場もあったようで、大戦の時大空襲を受けている。
きっとこの建物ももう無いんだろう。




1941germany3この写真は1941年5月8日。南ドイツ。
当時のドイツの航空機会社「ドルニエ」の工場を見学した後、ボーデン湖にて、とある。

この湖はドイツ、オーストリア、スイス国境にある。
今も昔も非常に美しい景観の湖。
ここは戦火にあってないはず。



1941年8月末、ハイデルベルクを訪れている。
花岡、木下両君と、と記してあるので、3人で行った旅。
この2人はたぶん化学系で燃料関連の研究をしていた人たちで、2人とも生き残った。
1941germany4これは8月24日、ハイデルベルク城のからネッカーの流れを見下ろして、と記してある。
一緒に行ったどちらかのカメラで撮ってもらったんだろう。
祖父はカメラを持ったまま。
ここは今でも絶景の地らしい。

祖父はアルバムに次のように記している。
"Ich habe mein Herz in Heidelberg verloren"
Google直訳すると「I lost my heart in Heidelberg」
私はハイデルベルク で恋に落ちた、かな。

・・・これ、ゲーテの話題だろうか?
それとも、ドイツのサイレント映画で同タイトル(1929年)のものがあるから、誰かそれが好きだったんだろうか?
はたまた、戯曲のAlt-Heidelberg(アルト・ハイデルベルク)のセリフかなんかなんだろうか?




1941germany5これもハイデルベルク。
この町は戦火にほとんど巻き込まれず、今も美しい街並みが残っている。



1941germany6これはハイデルベルクを訪れた翌日8月25日、シュトゥットガルト。
一緒に写っているのは、一緒に旅行した「木下君」とある。
乗っている乗り物はなんだろう?

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真12 (1940年)

昨日の夜は少し涼しくて、よく眠れた。
これはみんな同じで、ほとんどそれがあいさつ(笑)
Tabbieも朝の散歩では元気いっぱい。



1940年の7月7日のちょうど七夕の日。
この年のこの日は日曜日なので、Kimmich氏とドライブでポツダムを訪れたんだろうと思われる。
何度も行っているので、その度に写真は撮ったのだろうが、日本に着いて残っているのは本当にわずか。

ヨーロッパでは39年に戦争が始まっているわけだが、この頃はドイツは他国に攻め込んで勝っている状態で、国内は落ち着いていたんだろう。
ちなみに日独伊三国同盟が結ばれたのは、この年の9月。



1940potsdamまずはサンスーシ宮殿。ここは私も2度訪れたことがある。
宮殿から階段を降りて池が作ってあるところの彫像から、宮殿を背にして写したもの。
現在の比ではないが、当時でもさすがに訪れている人が多い。

ここから下の写真は同じ時に訪れていて、ポツダムのどこかのはずだが、どこか分からない。
1940potsdam2



1940potsdam3この建物が一体どこの何なのか。サンスーシではない。
壁にナチスドイツの鍵マークの旗が飾られてあるのがわかる。



1940potsdam4_2



1940potsdam5この写真の植物、もっと温暖な気候のところのものに思えるのだが。
温室かなんかだろうか?



さて、この後はブランデンブルグとある写真。
時期は同じ1940年の7月だけど、ネクタイが上のポツダムの時と違うので違う時。
1940germany2写っている建物(塔)がどこかわからない。
塔の上に十字架があるので、教会の塔だとは思うが。
カメラを持って写っているから、誰か持っている人と一緒に行ったはず。

これが祖父のコンタックスで、アメリカで没収されたものかと思うと、本当人生明日はどうなるかわからない。



この1940年はクリスマスの時の写真が残っている。
ヨーロッパのクリスマスは、家族や親族と集うもの。
なので、下宿先のKimmich氏の家族親族のクリスマスに混ぜてもらっている。

1940berlin5後ろにクリスマスツリーがあるのがわかる。
祖父の隣にいるのが多分KImmich氏だろうか?
奥さんがどの人になるのかよくわからない。

この写真には写っていないが、祖父からのハガキには「こちらではクリスマスには鯉を食べる」と記されていた。



1940berlin6このテーブルの、クリスマス用の花瓶の植物が非常にいい感じ。
綺麗に白で飾り付けてあったんだろう。

しかし、仕事でも休日でも、山スキーでもクリスマスでも、男性陣はスーツにネクタイなのね。


おまけ。当時のテニスの格好はこんな感じ↓
1940berlin9さすがにテニスの最中にはネクタイしない。7月。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真11 (1940年)

アップルウォッチのおかげで、暑いと心拍数が上がりやすいのが良くわかる。
特に寝不足になった次の日は疲れると感じるが、心拍数もやや高めになることが多い。
暑い中、写真の整理。



祖父の写真。
1940berlin昭和15年(1940年)の3月。この写真は博物館前の広場と記されている。
獅子狩人の像が映っているので、ベルリンの旧博物館前で撮ったんだろう。
左手後ろに見えるのは、ベルリン大聖堂だろう。
こちらは一部損傷したもののいまでも残っている。
とすると、右の後ろに写っているのはベルリン王宮だろうか?
当時は博物館として使用されていて、戦争で焼けてしまった。


1940berlin2これは違う場所からベルリン大聖堂をバックにして。
祖父はこの大聖堂を「ドーム」と書いている。
写っているギリシャ風の柱は旧博物館のもの?
3月のベルリンは雪が残っている。


1940berlin31940年3月17日。祖父はすき焼きを食べに行っている。
場所は東洋館。
1人で行くわけはないから同僚の日本人と行ったのだろうが、誰と一緒に行ったかは書き残していない。
祖父は箸の持ち方がおかしくて、祖母は「(祖父が)ドイツに行って箸の持ち方を忘れた」とよく言っていたが、この頃すでにおかしいのがわかる。
上からかぶせて掴んでクルリと回して口に持って来るという、かなり不思議な持ち方だった。
私が子供の頃は、日本料理屋では「箸くらいちゃんと持て」と客に怒鳴るような店もあったが、ぐっと年配の祖父(←明治生まれ)に向かっては何も言わなかった、というのを覚えている。

こちらのサイトによると、当時ベルリンに日本料理屋は3軒あり、そのうちの1軒。
この「日瑞関係のページ」(→HPトップ)は、第2次世界大戦頃のスイスを始めとしたヨーロッパの史料、文献、それに関する論説がたくさんまとめられている、非常に素晴らしいサイト。



1940berlin4事務所前で撮った写真。
けっこう立派な建物だったのではないかと思われる。



1940berlin8これはティアガルテン、ベルリンの広大な公園。
ワーグナーの像とあるが、正確にはワーグナーの像の足元の彫刻の一つが写っている。
オペラを含め、クラシック音楽が大好きだった祖父には、手元に残った記念の一枚だろう。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真10 (1940年)

パリは毎日かんかん照り。
暑くて散歩だけで疲れるので、夏のバーゲンに行きそびれている。
Tabbieも外に出なくても暑さでタレタレ。




まだまだ続く祖父の写真。
1940germany昭和15年(1940年)2月9日。南独、レーゲンスブルグにメッサーシュミット工場を見学に行っている。
その時の記念撮影。

・・・なんだろうけれど、映画のマフィアの集団みたいに見えて仕方ない^^;。
特に右端のドイツ人だろう人は、そのまま映画に出したい感じ。
この当時ははこれが普通、みんなこういう格好でこういう帽子だったのだなと、改めて思った。
ここに写っている人が誰なのかについては記載がない。



1940germany1当時のドイツは非常に協力的に技術を見せていたそう。
少ししか写ってないけれど、これが有名なメッサーシュミットBf109なんだろうか?



1940munichその後2月11日にはミュンヘンに。
この後ろに立つ建物はどこなのか不明。
唯一読める単語の「DEVISCHEN」というのが何かもわからない。
 →暑い中考えてたが、もしかしたら「DEUTSCHEN」かな?そうするとその後の単語はMUSEU(M)で、なんたらドイツ博物館。。。
・・・やっと寝る前になって発見。
"Bibliothek des Deutschen Museums"
これだろう。
ドイツのWikipedia見る限り、同じ建物(→コチラ)。
ドイツ語しかないので、よくはわからないが。
ドイツ博物館の中の建物の一つ。
車関連の展示でもやってたんだろうか?
そうか、他のところでは写真が撮れなかったのか。
1人で行ったわけではないので、見学コースに入っていたんだろう。

ミュンヘンも空襲でかなり破壊されたので、残っていないのかもしれない。
→・・・というわけで、残っていた。


写真を撮った時は、まさかここまで戦争がひどくなるとは思っておらず、また日本が参戦するとも思っていなかったのは間違いない。
この頃はドイツにも慣れ、ドイツの最新技術も学び、友達も増えて楽しかったんだろうと思われる。
祖父はエンジンの研究をしていたわけで、より良いものを作りたかっただけ。
これはドイツの多くの研究者も同じ。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真9 (1939年)

金曜日、4時頃になると職場から人が消え、皆周りのカフェなどでサッカー観戦。
歓声が聞こえたので勝ったとすぐわかったが、本当に盛り上がりムードだった。



祖父の写真。
昭和14年(1939年)2月にはイタリアに見学旅行で、トリノ、ミラノ、ベニス、フロレンス(フィレンツェ)、ローマを訪れたとあるが、残っている写真はフィレンツェの丘の上からの写真のみ。
1939florenceフィレンツェ の丘の上。
ミケランジェロ広場から撮ったのか?それともその上の教会から撮ったのか?



5月はずっとベルリンにいたのか、事務所や下宿などの写真がたくさん。
その中の2枚。
1939berlin3
近くに週末にでもドライブに連れて行ってもらったのか?
ちなみに祖父は運転はしていなくて、連れて行ってもらったはず。
戦前の車なんて今では貴重だと思うが、どんなのに乗っていたかとっても興味があった。
でも、ほとんど車は写ってなくて、これくらい。
しっかり映っているものは検問でもあってダメだったのかもしれないが。
これでは何の車かよく分からない。
まるまるしてないからフォルクスワーゲン以外の何か。

5月でも地面に雪があるのがわかる。


1939berlin前の写真のように5月でも雪が地面に残っていたから、祖父は冬コートを着た服装。
だが、後ろに映る子供達は半袖で初夏のよう。
当時もドイツ人は寒さに強いと日本人の間で言っていたんだろうな。




次の写真は7月。

1939berlin4勝利の女神が頂上に立つ塔がバックにある。
これは今でも残る戦勝記念塔。

この年は下宿していたKimmichi家族と撮った写真や、クリスマスの夕べという写真があったことがアルバムの跡からわかるが、写真は無くなっているので誰かにやったものと思われる。
残念。


祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真8 (1939年)

真夏天気が続くパリ。
ちっとも雨が降らないので、建物が全体に暑くなってきて、外の方が気持ちいいくらい。



昭和14年(1939年)1月、スイスのサンモリッツにスキー。
みんな冬は休暇でスキーに行く。
これは「日光浴」が一番の目的。
ヨーロッパの北の方は、冬は日照時間が少ないだけでなく毎日どんよりしていて太陽を見ない。
これはパリでも同じで、冬はとにかく重くどんよりしている。
スキー場となる山ではこれがピカッと晴天が多いのだ。
祖父も「冬季伯林ではほとんど見えない紺碧の空ー太陽ー白銀の山々」と記している。

そういうわけで、冬の山の写真が結構ある。
1939swiss3スキーをする人々。



Swiss白銀の山々。
当時の腰掛けは木なのね・・・。



この後、サンモリッツからアローザに。
1939swiss1この写真では、スキーをやっている人が後ろの方に見られる。



1939swiss2こういうロッジに滞在したんだろう。




この後、5月30〜6月3日までまた瑞西(スイス)の旅。
これまた背景が白銀の山々。
スイスはどこも山の写真しかない。
ただし、それでも町で働いている時と同じく、バッチリネクタイを締めてスーツを着ているのがこの時代の服装らしい。
残念ながら滑っている姿がなくて、スキーをしたのかどうかは分からない。
日本ではこういう雪山で休暇という習慣なかったのか、非常に美しい山々が気に入ったのか、たくさんの写真が残っている。

1939swiss4


1939swiss5


1939swiss6

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真7 (1938年)

今日は我が家のTabbie(タビィ)の5歳の誕生日。
もう5年か・・・あっという間。ニンゲンでいうと30半ばになるらしい。
ひどく蒸し暑いので散歩もそこそこ。



1938年10月、祖父はミュンヘンで十月祭(オクトーバーフェスト)を見た後、夜行でウィーンに行っている。

泊まったのはグランド・ホテル。
祖父の書き記している言葉をそのまま書くと:

-
「ゲルツ」工場を見学後、市中を見物。
「ドナウ」河ー「ウィナーシュニッツェル」(カツレツ)ー「ワルツ」ー音楽の遺跡ー「オペラ」が「ウィン」の思い出である。
ここの「オペラ」で聞いた「モーツァルト」の「魔笛」は、その後伯林で聞いたどの「モーツァルト」物より深い感銘を与へた。
-
どんな魔笛だったのか。
よかったんだろうなあ。
1938wien0こういうところは今も全く同じではないかと思うが、どうだろう?
これはウィーンのホーフブルク宮殿だと教えてもらった。



1938wien工場見学の時の写真か?
右端に写っている日本人は大倉商事、杉田氏とある。
当時は写真を撮るのも焦点を合わせたりと時間がかかったものだし、誰でもいつでも撮っていたわけではないので、皆カメラをじっと見つめていることが多い。
だけれど、左端の男性は全然違う方を見ていて、ある意味不思議。
胸元にポケットハンカチが覗いていたり、襟にバッジを付けていたりと、オーストリア側は服装バッチリ。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真6 (1938年)

どう何をしても暑い。
誰に会ってもあいさつは「暑い」。
日本に非常に久しぶりに6月初めに行った時、麻混の靴下をいっぱい買った。
ほぼいつも冬にしか行かないので、ものすごく新鮮。
買って正解だった。
UV対策のしてある夏用の乾きやすいスポーツウエアも買えばよかったとちょっと後悔。
散歩にぴったりだったのに。



1938berlin1938年7月24日、祖父はオリンピック会場を訪れる。
1936年にヒトラーによるドイツオリンピックが開催されていた。

オリンピックのメインスタジアムだったところ。
流石に広い。
特に人がいないと余計広々。
訪れるってここを延々と歩いたんだろうか?



1938berlin3屋外スタジアムなんだけど、座席は木だったんだと妙なところに感心した。



1938berlin1スタジアム周辺の写真のはずだが、どこかは私には分からない。



1938berlin2こちらもどこかは私には分からない。
戦争前は平和だったんだなと思う。
ところで祖父の背後にいる男性、実はしっかりカメラ目線。ポーズまでキメている。




1938berlin4同じ日に、テンペルホーフ飛行場も訪れている。
この当時は軍事用というわけではなかったから、背後の飛行機は一般のプロペラ機だろう。
周りに人がいっぱいいるのは、出迎えの人々?


祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真5 (1938年)

ひたすら暑い。
でも、まわりからサッカー観戦としか思えない歓声がいっぱい上がっており、フランスは勝ったんだなとニュースを見なくても良くわかった。
ジダン以来、ちょっと停滞気味だったようなので嬉しいだろう。



1938年6月13日に祖父はドイツのベルリンに到着し、「下宿」先に落ち着いた。
ちなみに祖父は外交官待遇で、政府が斡旋した家に住んだ。
食事や身の回りの世話もしてもらった、らしい。
これを当時は皆「下宿」と言った。
どの程度してもらったのかは聞いていないので不明。

祖父が住んだのは、ベルリンのFasanenstraße 54。
戦争の空襲で焼けたので元の建物は残っていない。
ここの家族はKimmichと言い、年が近いことと家族構成が似ている(同じくらいの年の娘が1人)ことから、非常に仲良くなった。
ここの主人にはしょっちゅうドライブに連れて行ってもらったという。
また、その頃が彼らにとっても一番いい時代だった言っていたと、その娘のブリゲッタが親の思い出として語っていた。

そのドライブ先の写真。
これも買ったコンタックスの試写とある。ホントに着いてすぐ買ったらしい。
ちなみにこれ以降、すべての写真はこのカメラ、(レンズはゾナー1.5のコンタックス Contax II)。

Germany一緒に写っているのが、そのKimmich氏。
これがどこだかはわからない。
ドライブではよくサンスーシーに行っていたというので、その途中の家だろうか?

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真4 (1938年)

6月30日に見た日本の映像は、焦げ焦げになったロケットだった。
この辺、日本の技術には世界と比べても問題が多そうだ。
・・・と書いたら、あれは民間ベンチャーで、JAXAであればもっと完成度が高い、とのこと。



祖父の写真の続き。1938年6月10日ヴェルサイユ。
1938versailles


1938versailles2


1938versailles1観光客が全くいない点を除けば、今と変わらないヴェルサイユの庭園。

この後、1938年6月13日にパリを出てベルリンに向かいZoo駅に到着。
ドイツに着いて、まずコンタックス(ツァイス・イコン)を買った。
日本にいた時は高嶺の花だったドイツのカメラ。
試写はベルリン動物園。

Zooberlinこの写真は6月下旬。ベルリン動物園のゾウ。
たくさんの観客がいて、大人気のゾウ。
画像が小さい時はそうも思わなかったが、よく見ると今までと比べて格段にいい。
多分、操作もやりやすかったんだろうと思う。



1938berlin5こちらは同年11月13日。日曜日。ベルリン動物園のクマ。
ちょうど立ち上がったところを撮れるというのは、当時としてはなかなかすごい。


1938berlin6同じ日、ゾウの前で。


ここに写っている人々もゾウも、その後戦争に巻き込まれた。
ベルリン動物園では(日本と違って)動物は殺処分にはならなかったが、空爆に巻き込まれてかなり死んだので、このゾウもどうなったかはわからない。

祖父の記録ー第2次世界大戦頃のヨーロッパー写真3

ものすごく暑い。
タビィ(Tabbie)はタレタレで、散歩中止まるとすぐペッタリと寝そべってしまう。
あまり散歩とは言えない。

暑いので出来合いのものでもと朝の散歩時にCharcuterie Maison Verotでテリーヌや自家製パストラミなどを購入。
どれもめちゃくちゃ美味しくて、ぱくぱく食べた。
暑くて食欲減退しているとは言い難い(笑)


4年前にまとめていた祖父の記録の続き。

祖父は1938年ドイツに行くために香取丸という船に乗った。
同年マルセイユ港に着いた後、パリに寄って6月7−12日まで滞在した。
エッフェル塔や凱旋門は前回の記事にてアップした、その続き。

一緒に写っているのは「鈴木君」と書いてある。
いただいた情報によるとパリ駐在の鈴木親太技手ではないか、とのこと。

1938parisノートルダム。
現在では前は大きな広場となっていて、この写真の街路灯や道路は無い。
珍しく人や車が映っている。




1938paris2凱旋門・・・にしては変だと思ったら、ルーブルとチュイルリー庭園との間にあるカルーゼル門。
上の馬車の部分が切れている・・・。
向こうにぼんやりと見えるのは、コンコルド広場のオベリスクとその先の凱旋門か。
他の写真もだが、上が切れてるのが多いのは、人を中心に置いて合わせないといけなかったせい?
もしかしたら、遠方の凱旋門を中に写したかったのかも。


1938paris5こちらはルーブル宮前とあるが、今と違う・・・。
街灯と重なっている上、上が切れているので分かりづらいが、後ろの塔はレオン・ガンベッタの記念碑か。
この記念碑は撤去され、そこにルーブル・ピラミッドがある。



1938paris4ブローニュの森。
19世紀に整備され、1929年に公式にパリ市に編入されたということから、都市の形の一つとして訪れたのかもしれない。
足元に白いゴミのようなもの見えるが、ゴミではなくビジットするための地図を2人が地面に置いたんだろうと思われる。



1938paris3これはナポレオンの墓、アンヴァリッド。
上が切れてるのが惜しい・・・。

アップルウォッチ

アップルウォッチ を買って、使い始めてから3週間ほど経った。
使い心地はけっこういい。

今まで携帯iPhoneを時計代わりに使っていたのだが、犬の散歩をしている時にバッグをガサゴソ探すのはけっこう面倒だった。
もちろんメッセージやメールチェックも取りあえずウォッチでできる。
天気も確認できる。
ラボで実験する時のタイマーにも断然使いやすい。
携帯でやっていたことを腕でできるのは、かなりラク。
カレンダーに入れている予定も携帯の通知では気がつかないが、ウォッチならいい。
また、ラボや自宅のMacがパスワード入れなくても解除してくれるのも非常に便利。
気をつけないといけないのは、セミナーなどの時に消音モードにするのは連動がないので、それぞれやらないといけないところか。
ウォッチのシアターモードで、iPhoneも消音モードで連動してくれればいいのに。

このアップルウォッチは運動する事を考えているので、運動量が測れるし、心拍数とかも出る。
汗も問題なければ、日常レベルの防水機能も付いているので、汚れを水拭きできる。
階段を上るのが手頃な運動になっている、こともわかってよかった。

というわけで、けっこう気に入っている。

さて、心拍数がはかれるとなると、いろいろな記事によく出ている睡眠分析なんかやってみたくなる。
そこでよくいいと言われるAutoSleepを入れた(360円)。
睡眠の質がわかるというのだ。
寝る時につけっぱなしにする必要があるのだが、1日おきくらいにやってみている。
・・・そして分かったことは、私はいつもよく寝ているということだった。
コレで異常な心拍数上昇が出て、心臓の異常を見つけたなどという体験談もネットで見かけたが、すこぶる正常だった。
昨晩はなかなか寝付けなかったとか、変な夢を見て起きた、とかあっても、その他の時間は熟睡しているらしい。
トータルの睡眠時間が短い時は、深い眠りの割合が増え、結局寝られている。

まだ試してみていないのは、飲酒をすると眠りが浅くなる、というやつ。

少し・・・

パリは暑い。
雨もなしで今週は夏の陽気。

祖父のことでちょっと進展があった。
メールをいただいて、情報をもらったので、カテゴリー「祖父の記録」に書き加え中。

ところで、大島浩大使や祖父がル・アーブルから乗せられた船、USS West Pointのリストの中に、「Patrick Nagano」という人がいる。
ちょっと気になって検索してみたら、アメリカ生まれの2世だった。
記事は→コチラ
この人も日本人だということで、本当に大変な人生を送った人だった。

"The M.I.S. assigned Nagano to the European theater. His assignment was to be parachuted into the Japanese Embassy in Berlin before the Russians could obtain the intelligence documents. Fortunately for Nagano but not for the Western Allies, Berlin fell to the Red Army before that could happen."

「・・・与えられた任務は、ロシアが情報文書を手に入れる前に、ベルリンの日本人大使館にパラシュートで降りることだった・・・しかし、彼にとって幸いなことに、ベルリンはその前にロシア軍の手に落ちていた」

降りてたら生きてなかったろうなあ。
大変な目に遭いながらも戦争を生き延びて、最終的に96歳まで生きた。

夏至

夏至だ。
夏至といえば、Fete de la musique(音楽祭)。
というわけで、街は音楽(時に騒音)で溢れている。
今晩は町中コンサート。

パリに戻って

日本では、東京ではやし屋の抹茶ソフト、なども含め、いろいろ美味しいものを食べた。
地元ではモクモクファームの濃い豆腐やハム、大内山の乳製品とかも気に入ってるし。

パリに戻って早速食べたのは、Archibaldの美味しいパン、Laurent Duboisのチーズ、Pierre Hermeのケーキやマカロンなどなど。
大きなステーキもLa Becane a Gasonで食べたりしたし。

Laurent Duboisの創作チーズの中に、セップ入りカマンベールというのがあった。
これがなかなか私好みでヒットだった。
癖のあるチーズが好きな人向け。
ただ、トリュフ以外のきのこ大嫌いなTabbieはセップだけ避けて食べるので、端っこの方の入ってないとこだけ。

伊勢 鈴

伊勢神宮に行った時、伊勢 鈴 というのを買った。
Tabbieへのおみやげ。
散歩の時に、と。
ハーネスにもぴったり。
澄んだ綺麗な音色で鳴るのだが、けっこう響くので、夜の散歩の時のみ。

Tabbie9

今回の発見

今回東京に行ってはじめて見たもの。
いたんだ、ゴジラ。


Tokyo1


雨・・・

パリは梅雨のようだと書いたが、今日も雨。
Tabbieは外を眺めただけでUターン;
ちょっとくらい出て欲しいのだが。


米朝会談がうまくいった、らしい。
どううまくいったのかはよくわからない。
が、さしあたり、日本では「明日はくもりのち雨、ミサイルの落下に注意」なんてことにはならなさそう。

一方で、EUとアメリカの溝はほとんど対立状態。
ただ、この対立だと、戦争にはもはや繋がらないだろう。
現在のところ1番血なまぐさい戦争問題は中近東かな。

パリに戻る

今回は名古屋も行かずじまい、行ったのは伊勢神宮日帰りのみ。
そしてあっという間に過ぎてしまった。
伊勢神宮はやはりいい。
なぜか別空間に入って行くような気がする。
それにしても、平日でも観光客多かった。
TVで見たシャンシャンは可愛かったが、見に行かずじまい。

今回はTabbieが新しいところに預けてあったので心配だった。
が、変わらず元気に戻ってきた。

荷ほどきをしているとアデルが出せとうるさい。
Tabbieが帰る前にアデルを出し、水浴びさせた。
アデルはTabbieがいないので、長いこと床をあちこち歩き回っていた。
なぜかこのアデレード・ロゼラ(キアカクサインコ)というインコは、飛ぶ回るより歩き回るほうが楽しいらしい。

Tabbieは帰ったら帰ったで、目がトロンとし始め、すぐ寝てしまった。

パリは非常に蒸し暑く、毎日のように雷を伴う雨。
ほとんど梅雨のような天気である。

馴染むまで少し時間がかかりそう。

少し日本に

なんとか荷作り終了。
たぶん・・・。
いつも後で何か思い出すけれど。

Tabbieはすでにノルマンディに。
新しい預け先だけど、楽しんでくれるといいな。


Tabbie8


ばたばた

さて、もうすぐ日本に行く。
相変わらず何も準備できてない^^;

写真は走り回った後、木陰で休むTabbie。
なんとなく風格がある。
こういう時のTabbieは呼んでも来ない。

Tabbie7


パン屋、Archibald

最近できたおいしいパン屋、Archibaldのパンをほぼ制覇した。(サイトはコチラ、仏語のみ
もともと菓子パンもなければ、バゲットもない、このパン屋。
それほど多く種類があるわけではないが、厳選したものを使い、本当に丹精込めて作っているパン屋。
Instagramの写真が美しいので見てみてほしい。

どれも美味しいが、シリアルが入っているカンパーニュやあるもん(ドイツのこと)と名のついたパンが気に入っている。
夏になったら、シリアル無しの優しい味わいのものに移るだろうけど。

ちゃんと酵母を飼っていて、それを使って時間をかけて熟成させているからだろう。

唯一の欠点は美味しすぎてパンばかり食べてしまうこと。


バラ満開

週末、パレロワイヤル公園に行ったら、バラが満開。
暑すぎずいい天気だったので、みんな噴水のまわりで日向ぼっこ。
私とTabbieも混じって日向ぼっこ。
Tabbieはあつあつに・・・。

お昼はさっぱりしたフランボワーズ&ライチのオリジナルドリンクとタラとアボガド、グレープフルーツのタルタルをl'Enclos de Ninonで。

こういう最高の天気の週末は本当に珍しい。


Palaisroyal1


Palaisroyal2


Ninon4


カルパッチョ

カルパッチョ&ロケット(ルッコラ)のサラダ&パルメザン。

この時期はこういうのが美味しい。
日本では食べられないんだっけ?

Becane6


週末

先週末のソー公園。
けっこう暑くて、Tabbieはタレタレ。
何かが木から走り降りたと思ったら、リスだった。

Sceaux6


Sceaux7


今日は雨

いきなり30度になったかと思うと、ぐっと下がって15度くらい。
今週は普通に20度代に戻るらしいが。

オペラ座周辺で刃物で通行人を刺す、という事件があった。
それで思い出したが、だいぶん前に日本では刃物を持った男が小学校に押し入り、子供を刺し殺すという事件があった。
最近でも日本でも他の国でも刃物による殺傷やその未遂事件は多い。
刃物を持ってない家庭なんて無いだろう。


なので、フランスでもそれを防ぐのは難しい。
フランスでは学校は小学校なども含め、全部外の門を閉めるので、外から誰かが侵入はない。
(学生も途中でこっそり抜け出すのも不可能)
どこの建物も高い壁があるし、意図的に侵入するとすると事前からの準備やら何やら必要だろう。
大学などでも出入り口は警備員がいる。
アパート近くにある大学敷地内では、夜間は別の警備員と犬が離してある。

でも、事件があったのを受け、散歩中に通る大学の警備もやや厳し目。
また、ポリスが路上生活者の跡、(放置されたベッド用の敷物とか、ゴミとか)を片付けていた。
こういう片付けは本来清掃車がやるのだが、最近はポリスも駆り出されるのか、それとも怪しいという通報でもあったのか。
相当臭うので警官も大変である。

こういう事件があるとよりみんな嫌になるんだろう。
解決策が見つからないというか。

FA(Fanconi anemia):ファンコーニ貧血

つい最近セミナーであったので。
ファンコーニ貧血は遺伝子疾患の一つ。
DNA修復に関する遺伝子に異常があるため起こる病気。
名前の通り、血液成分を作れないのが特徴的だが、他にも成長障害などいろいろな症状を示す。
実際の臨床では、まずは血液ができないと困るため、その治療が第一で、造血幹細胞移植が行われる。
それでも修復能異常は変わらないので、いずれはがんを発症する。

さて、DNA修復に異常があるので、あちこち遺伝子が壊れるわけだが、患者のホールゲノムシークエンスをして、かつずっと後を追っても、なぜかp53遺伝子が壊れない。
理由は不明。

このp53はDNAにダメージがある細胞を効率よく排除する(細胞死に導く)機構がある。
普通はこのおかげでがんになりそうな細胞が除去される、大切なものだ。
そして、多くのがんでこのp53が壊れている。
そのため、壊れて困る遺伝子の代表選手みたいなものだが、このFAの場合は全く逆。

この患者は遺伝子修復に異常があるため、DNAダメージのある細胞がたくさんできてしまう、それが片っ端からp53により(apoptosisが誘導され)排除されるので、成長にも異常が出るし、血液成分を作れなくなる。

p53が働きすぎているわけだ。

・・・というわけで、p53をMDM系で抑えてやると(マウスモデルでは)かなりよくなる、というのを解析中・・・。

う〜む、それって・・・。
PFT-alphaかなんかp53inhibitor使った方が利用しやすいのでは(特に患者の治療を考慮すると)。
ドナーが(すぐに)見つからない際の貧血対策や成長障害対策になる可能性がある。

一方で、DNA修復能異常は治らないので、いずれはがんを発症するだろう。
それでも造血幹細胞移植はなかなか大変なので、多少でも緩和できたら良さそう。

持久力をつける

今日も暑かった。
5月8日はフランスの終戦記念日で祝日。
ものすごく暑くて30度くらいまで上昇した。

午前中はソー公園。
まだ涼しい中、Tabbieを走らせる。

実は先日見ていたドキュメンタリーで、犬は長距離走&持久力に強い、ということが出ていた。
確かに犬ぞりのように、極寒の未踏の地で重いものを引きずりながら、何十キロも連日走れる犬は持久力抜群だ。
無論、そんなことができる犬種はやはり限られるし、トレーニングも欠かせない。

そもそも犬という動物は長距離が得意な体をしている。
ということで、出てきたのがある男性、毎日山道を5キロ走る。
だいたい50分くらいかけて。
その伴走をするのが・・・と出てきたのがチワワ。
その男性が片手で軽く鷲掴みできる2kgくらいのロングコートのチワワ。
男性と一緒に山道を走るその姿はほとんどリス。
山道5キロを駆け抜けた後、ちっとも心拍数が上がってないという。
う〜む。


Tabbieは運動不足かも。
スピードは必要ないが、もう少し持久力をつけさせた方がいい。
と思ったものの、歩かないTabbie。
せめて週末はソー公園縦断。
だいたい1時間半から2時間くらい、舗装されてないところをひたすら歩く。
犬は時折走らせる。
・・・というのが基本構想だが、暑いとTabbieの耐久力が急激にダウンする。
あのもふもふ毛皮に加え黒いものだから、暑すぎるのだ。
というわけで、無理しないように・・・。
それでも暑さでTabbieは午後はダウン。

こちらが寒いくらいの方が、犬にはちょうどいいんだろうけど。

来週は10度気温が下がるようなので、Tabbieには過ごしやすそうだけど、雨は散歩に向かないなあ。

遅れても

5月1日、メーデーはスズランの日でもある。
なのであっちこっちでスズランを売っている。
どこから湧くんだろうと思うくらい売っている。
しかも普通の花屋とか赤十字の寄付金集めにかこつけて、とかでは無く、道端で許可のない人が売っている。

もちろん全部売り切れるわけはないし、その日にうまく咲かなかったスズランも出る。

今日は6日、日曜日。
ぐんぐん気温が上昇し、夏日になった日曜日。
まだメトロの出口で「花はどう?」とスズランを売ってる人が。
・・・いつまで出るんだろう。


「六日の菖蒲、十日の菊」という言葉があったなと、ふと思い出した。
とはいえ、現在ではこの習慣は廃れてしまっているけれど。

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